![]() |
||
|---|---|---|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
酒の好みについて書かれたものは意外と少ない。百閧フ生家は作り酒屋で、酒豪として知られたが、「いい加減なところまで行くと酒の味が悪くなるので、もう飲む気がしなくなる」と、別のところで書いています。 酒光漫筆 田舎に旅行すると、酒がまづいと云ふ話はよく聞く事であるけれども、私などはそれはその場の事として諦めがつく様に思ふ。ただ、家にゐる限り、酒の味の変はるのは困るのである。時時飛行機で灘の倉から持って来たと云ふ酒を貰ふ事があるが、味利きをする段になれば、うまい事は確かにうまいと思っても、私の飲み料と云ふ事になると、その、うまいと云ふ点が結局口に合はない欠点となるので、勿体ないと思ひながら、つい人にやつたり、煮酒に下ろしたりしてしまふ。(中略) 大阪の酒と東京の酒とはどう違ふかと云ふ事は、酒飲みの話題の一つであるけれども、東京の酒と云ふ事を狭く考へると、品種も極めて少い。結局、東京で飲む大阪の酒と云ふ事に落ちついて、ただ一般に東京好みの甘口とか、特に木の香を珍重するとか、輸送の途中に樽がすいて、それだけ酒が濃くなるのを喜ぶとか、要するに酒飲みの好みとは縁故の薄い特色で、大阪の好みと区別するに過ぎない様に思はれる。東京で一番大切らしく云ふ「こくがある」と云ふ事は、酒飲みには迷惑な事であって、特にこくがあると云はれる様な酒は常用に適しない。反対にこくがなくてさらりとした味に、清い香気と色の吟味が酒飲みには一番大切なのであらうと思はれる。 |
|
|
吟醸酒のフルーティな香り、味わいというのは、醸造のすべての過程で、トータルに生み出されるものです。麹による糖化、酵母によるアルコール発酵、そしてその並行複発酵、酒母(もと)造り、仕込み、それらの全ての段階で調整してまいります。そうでないと、多様な好みに応じるお酒は出来ません。 決め手は、やはり米、麹、酵母です。米については、吟醸酒の場合は精米歩合を極めて高くしていますが、これは玄米の表面や胚芽にはたんぱく質や脂肪、その他の無機質が含まれていますからそれを取り除くのです。精米歩合60%というのは、玄米から40%削り取ったということです。 麹は米を糖化し、酵母は糖化した米をアルコールと炭酸ガスにして死んでしまいますが、代わってさまざまな酵素が生み出されます。酵素の種類はたくさんあって、詳しく取り上げますと専門的になって大変ですが、たんぱく質を分解する酵素も生まれます。発酵の過程では各種のビタミンも出てきます。このビタミンは酵素の栄養になります。 こういう複雑さによって、日本酒、あるいは吟醸酒の可能性は無限であるといってよいのではないかと思います。温度を上げたり下げたり、あるいは酵母の発酵のための環境を極端に悪くし、酵母にとっては飢餓状態にして香り成分が出てくるようにしたりもします。 |
||
|
灘の酒がもてはやされ「一人勝ち」だったのは、いまは昔ですが、「名取り酒」という表現が吟醸酒に通じるところがあり、紹介します。 灘酒(なだしゅ) もと「なだめしゅ」(灘目酒)といったのを略して「なだしゅ」(灘酒)という。「なだめ」は「なだべ」(灘辺)のなまりで、摂津・和泉にわたる12郷の総称で、明和の頃(1764〜71)おこった名である。「灘」の地名が初めて文献に現れたのは正徳6年(1716)である。室町時代(1392〜1573)には「兵庫・西宮のうまざけ」などの名があった。従来、近衛家の所領伊丹郷の酒が中央で最も有名であった。伊丹の雑魚屋(ざこや)門左衛門が寛永のころ(1704〜10)西宮に移住して酒造業を始めてから灘酒が盛んとなった。文化文政ころ(1804〜29)伊丹や池田の酒が江戸で声値を落としてから。「灘酒」がこれに代った。 (中略) 醸造技術が進歩して全国の清酒の風味が均一化したこんにちでもやはり「灘酒」が独自の声値を維持しているのは、各蔵元が世間の景気不景気に左右されないで、終始一貫、「名取り酒」(名声維持を本位とする良心的つくり方の酒)に精進していること、生産高を全国比10%内外におさえて希少価値を維持していることなど、そのポリシーの優秀さにあるといわれる。
|
||
|
|
||